ミスチル「シーラカンス」 歌詞の意味・解釈 ~シーラカンスの意味するものとは。左脳の片隅で君を待ってる~

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深海特集第3弾は、「シーラカンス」を取り上げようと思います。
ウィキペディアによると、当時の桜井さんの心情を反映したような歌詞とありました。
果たしてどんな心境でこの曲を書き上げたのか…管理人なりの解釈を紹介します!

 


【以下 歌詞解釈】

  

シーラカンス
君はまだ深い海のそこで静かに生きてるの?
シーラカンス
君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの?

 

ある人は言う 君は滅びたのだと
ある人は言う 根拠もなく生きてると

 

 

君とはシーラカンスのこと。彼は果たしていまだ存在するのか…
それとも滅んでしまったのか。

曲の前半部分は終始、そんな歌詞が続きます。

 

ですが一方で

「それがなんだって言うのか 何の意味も 何の価値もないさ」
と、どこか投げやりになっています。

 

桜井さんの想うシーラカンスとはいったい何を意味しているんでしょう。
曲が進むにつれて、徐々に明らかになってきます。

 

 

 

どうしたら僕ら 答えを見つけ出せるの
どんな未来を目指すも 何処に骨を埋めるも
選択肢はいくつだってある
いうなれば自由

 

そして僕は微かに 左脳の片隅で君を待ってる


シーラカンス
僕の心の中に 君が確かに住んでいたような気さえもする

 

 

 

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この「深海」というアルバムは、全部の曲をひっくるめて一つの作品として完成する
コンセプトアルバムとなっています。
葛藤や迷いがテーマの曲が多く、その中でも「名もなき詩」のサビには


「あるがままの心で生きられぬ弱さを 誰かのせいにして過ごしている」


というフレーズがあります。
管理人はこの「あるがままの心」そのものが「シーラカンス」の正体なのではないかと考えます。

 

 

小さい子供の頃に感じた希望や夢や理想。恋人との永遠の愛。
ですが核兵器やテロ、宗教…混沌とした現代において、そんな理想は無意味です。
いえ、むしろ下手に希望を抱えて生きていると、現実とのギャップから絶望してしまうでしょう。

 

「あるがままの心」とは純粋な意思や衝動・自我であり、現代社会に生きる人々がその衝動を抑圧し続けてしまった結果、見失ってしまった何かを

深海に潜むシーラカンス

に例えているのではないでしょうか。

 

 

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シーラカンス
僕の心の中に 君が確かに住んでいたような気さえもする


とあるように、かつては自分のなかにもシーラカンス=純粋な衝動を抱いていました。
ですが、いつの間にかそのシーラカンスはいなくなってしまったのです。

 

 

シーラカンスとは「生きた化石」と呼ばれており、3億年以上の時を経てもその姿がほとんど進化して来なかったことが由来となっています。


一方で現代社会は日々進化しており、それと同時にきっと大切な何かを代償にしてきているのでしょう。
生き物が進化するなかで、無駄な物がそぎ落とされていくように…

 

 

「それがなんだって言うのか 何の意味も 何の価値もないさ」

「そして僕は微かに 左脳の片隅で君を待ってる」


左脳とは、理性的で論理的な思考を司ります。
シーラカンスなんかがいたところで現代では何の意味もない。何の価値もないと、その理性が言っています。
ですがそんな左脳の片隅で「理屈を超えた何か」が再び訪れるのを微かにじっと待っているのです。

そんな心の中の迷いや葛藤が、歌詞のなかに潜んでいますね。

 

 

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シーラカンス
ときたま僕は 僕の愛する人の中に君を探したりしてる
君を見つけ出せたりする

 

曲の最後では、愛する人の中からいつか忘れてしまった何かを探し、そして見つけ出します。
あるがままの心で生きることというのは、もしかすると「退化」を意味するのかもしれません。

ですが暗い雰囲気の曲のなかで、最後のこのフレーズからはどこか「救い」を感じることが出来ます。

 

 

愛する人のなかにシーラカンスがいる。

それはきっと、生きる化石と呼ばれたシーラカンスのように、3億年経っても変わることのない愛を感じることができるからでしょう。

 

おわり